2017/9/10
私にとっては、可愛くて仕方ない子でも、
毎日の散歩で連れて歩くには、田舎の道は偏見に満ちていました。
周りの人からすれば、シェパードは大きな怖い「犬」なのです。
どんなに訓練してあっても、見た目で「怖い」と言われてしまうのが大型犬です。
昭和50年代、ペットブームなんて言葉のない頃
せいぜい、頭のいい犬は「名犬ラッシー」ぐらしか
知らない、田舎の周りの大人たちでした。
大きな犬がいるだけで、「うちの子供達が怖がる」と言われ
言われのない偏見を受け、自宅にまで文句を言いに来る近所のおじさんたち。
どんなに訓練しているから、大丈夫と言っても納得してくれませんでした。
そして世の中の、偏見の目に、
対抗できるほど私はまだ大人ではありませんでした。
そんなバンを、飼っていたのは私で
家族は、ほとんどバンに対しては、愛情を持っていませんでした。
バンもまた、私の言うことはよく聞きましたが
家族には、反抗こそしませんが
父が「つけ!」と命令しても、私の左足の横に来てしまう始末でした。
両親も、自分が飼っているという感覚があれば
近所の苦情も、はねつける事ができたのでしょうが
「愛情」が無いというのは、「どうでもいい」になるのでしょうか。。。。
そんな問題が起こっている頃
ちょうど、私は進学の時を迎えていました。
この、親の元から、離れたい一心で、大阪の学校への進学が決まっていました。
バンの事は、とても気にはなっていましたが
帰れば会えると思っていましたし
それよりも、家庭の地獄から抜け出せる喜びの方が強かったです。
私は、現状の苦しみから救ってくれたバンを置いて
現状からの脱出に、浮き足立ち、大阪へ出て行ったのです。
「またねバン。夏にね。」と言っただけで。
もう、二度と逢えなくなるとも知らずに・・・・
近所の苦情など、どうにかなると、あまり重く考えていなかったのです。
大阪の学生生活は、本当に楽しいものでした。
苦しかった生活から抜け出れて、同じ道を目指す友人たちと
楽しい毎日を過ごしていた初夏の頃、
田舎の母から、「私にとって最悪の電話」がありました。
「バンを保健所に渡しから。」
と、悪びれる事もなく、さらっと唐突に言われたのです。
母の言っている意味が、とっさには理解できず
「なんで!なんで私に何の断りもなく、そんな事するの!」
と、怒りをあらわにすると
「だって、あんたに言っても、ダメだって言うに決まってるでしょ。
だから、もう引き渡しちゃった。」
と、あっさり言う母が、どんなに憎かったことでしょう。
「連れて行かれる時、なんか、おかしな感じがしたんだろうね。
なかなかトラックに入らなかったよ。」
と、私に言う母は、私がどんな気持ちになるのか分からない人なんだと思いました。
40年も前のことなのに、今思い出してこれを書いても
かわいそうで、涙が出ます。
かわいそうなのと、申し訳ないので
バンに謝っても、謝りきれない。
何がどうなったのかわからず、車に乗せられるバンの姿が
ちらついて、眠れませんでした。
当分、寮のベッドで泣いて暮らしました。
苦しかった、私の生活に光を当ててくれたバンだったのに
私は、彼を見捨てて、責任を果たせなかった。
夏に田舎に帰った時に、保健所に電話をして
「今でもいるなら、もう一度引き取りたい。」というと
「ここには1週間しかいなんだよ。」と、言われ
保健所の現状を、初めて知ったのです。
あんなに、賢く素晴らしい犬を
バンを、私は「ガス室送り」にしてしまったのです。
どんなに苦しかったことでしょう。
冷たい鉄格子の中で
どんなに私を待っていたかと思うと
今でも、胸が押しつぶされそうです。
当分両親を、文句を言ってきた近所の人を許せませんでした。
夢に、何度も何度もバンが出てきて
「生きていたのね」と抱きしめ、泣きながら、
何度目覚めたことでしょう。
そんなことがあり、そんな話を、全く誰にもできず バンの犬生を全うしてあげることができなかったのです。 私は、罪の意識と、バンへの申し訳なさで、新しい子が飼えなかったのです。
新しい子を飼うことは、あんな仕打ちをしたバンに悪くて
可愛がることができないと思ったのです。
映画の「南極物語」とか、犬のドキュメンタリーとか見ると
バンとダブって、嗚咽してしまうのです。
4へ つづく
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コメント
こんにちは。
4まで終わってませんがコメントさせてください。
mikanさん、辛い思いをなさったんですね。
でも決してmikanさんのせいではありません。時代がそうだった、と言うべきでしょうか。学生の身にはどうすることも出来なかったのだと思います。どうかご自分を責めないでください。
★みゆきさん
暖かいお言葉、ありがとうございます。
誰しも、長い間ペットを飼っていれば
辛い話の、1つや2つあると思います。
「生き物を飼う」ことの、意味と重みを
痛感した年月でした。
そして、soraが、私にした罪を少しずつ埋めてくれてると感じます。