「犬を飼う」〜ガス室送りになったバン〜 4

2017/9/11

 

 

そうこうしてる内に40年という時間が経ちました。

 

40年というと、ものすごく時間が経っているのですが
バンの事件は、私にとっては、
昨日の事のような「罪の意識」で残っていました。

 

やっと犬の飼える環境になったというのもあり
思い切って、子犬を飼うことにしたのです。

 

「ガス室送り」になったバンの代わりに
「保護犬を」と思ったのです。
保健所に行く子を助けたいと、思ったからです。

どこか、シェパードに似た子を見つけたいと、探していました。

そんな時、主人が、少しシェパードの子供に似た子を
インターネットの里親サイトで見つけてくれたのです。

 

 

 

 

新しい子を、迎え入れて、改めて気づかされた事がありました。

私は、自分がバンを「飼って」はいなかったのだと。
確かに、お世話は全てしていましたし、かわいがりもしていましたが
「飼う」と言うことが、根本から分かっていなかったのだと思いました。

 

「飼う・家族に迎える」と言うことは
その子の「生」に「責任を負う」と言うことなのだと。
食べ物も、ウンチも、散歩も、注射や病院も、
全てを請け負ってこそ「飼う」と言う事なのだと知らせらました。

私は、バンは心の底から、可愛がっていましたが
「生」に責任を持っていませんでした。
だから、あんな悲しい事が起きてしまったのだと分かったのです。
誰のせいでもなく、「責任」を持っていなかった自分のせいなのだと
40年経って、やっと気付いたのです。

 

 

新しい子は「sora」
ちょっとバンに似ています。
飼う前は、soraを可愛がったら、バンがかわいそう・・・・。
と、思っていましたが、違いました。
面影がダブって、可愛がれないかと思っていたのが
soraを可愛がれば可愛がるほど、バンとは別の子なんだと感じるのです。

バンはバン。soraはsora。と分離して、感じられるのです。

 

もしかしたら、バンが生まれ変わって、
また、私の元に来てくれたのかもしれないけど
ちゃんと、違う子なんだと頭でわかります。

40年かけて、私は、バンのトラウマから
soraを通じて、少しだけ、解放された気がします。

 

この辛い話を、泣きながらでも書けるのも、
「犬を飼う」という事の本質が、分かったような気がしたからです。

 

心の底から、バンに「ごめんね。」を言いたい。

 

バンの写真は、本当に少なく、実家のアルバムにしか眠っていなく
久々にバンの顔を見て、やっと話す事ができました。

 

私はバンが、いつ亡くなったのかを知りません。
お骨も手元になく、拝んであげる事もできません。

 

バンは、私の事を恨んでるかもしれませんが
「心の底から愛していたのは確かです。」

 

虹の橋のたもとで、いまも待っていてくれてるとしたら
再会した時は、soraも紹介するね。

 

そして「また、逢おうね。バン。」

 

 

 

 

 

最後に愛犬を亡くされて、辛い立場にいらっしゃる方に、伝えたいです。
新しい子を飼っても、前の子は悲しまないと思います。
そして、別の子だと感じると思います。
亡くした悲しみは、新たな命でしか、埋めれないのだと
私は、身をもって感じました。
そして、それは、長ければ長いだけ、
トラウマになってしまうという事です。

 

 

長々と、お付き合いいただき、ありがとうございました。

バンの事が書けて、良かったです。
長い間の、胸のつかえが少し、軽くなった気がします。

 

 

私の大切なバンの話ができて、本当に良かったです。

「彼」の生きた証がを、残す事ができて良かったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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コメント

  1. ゴルのママ より:

    大切なお話ありがとうございました
    最後まで泣かずに読もうと思いましたが無理でした
    辛い思い出を話すということは難しいことだと思います
    40年辛い思いをされて勇気をもって話してくださってありがとうです
    soraちゃんを迎え入れた経緯に立ち直りと許し
    やっとご自分を許してくださったこと
    それがよい結果になっていく、その物語にとても感動しました

    不幸は誰の仕業でもないのです
    うらみはもう捨ててください
    そうしないと心の石っころは捨てられません
    もう捨てたんですよね
    soraちゃんとパパさんが側にいて幸せな分バンちゃんはきっとうれしいはず
    それに徳をつんだワンコは今人に生まれ変わり幸せな人生を贈っているのでは
    バンちゃんが人に与えた影響はひとつの教えですから
    ありがとうと感謝でいいと思いますよ

    • mikan より:

      ★ゴルママさん

      バンの話をしたい。と思っても、突っ込まれるとい辛い。
      聞かれたくないし、触れられたくない・・・・
      と思い40年過ごしてきました。
      運良く、今まで深く聞かれたことがなかったので助かりました。

      でも、あまりにも、深く太い棘が、心に刺さったままだったので
      すっかり錆びついて、固まっていたのを
      小さなsoraが、溶かしてくれた感じがします。

      さすがに時間がたちすぎて、
      文句を言ってきた近所に人も、病に苦しんだ父も
      もうこの世にはいません。
      恨みが全くないと言ったら、嘘になりますが
      そういう思いも、時が少しずつ解決してくれるのだな、と感じます。

      バンも、あの時、生まれ変わっていたら
      もう、40過ぎのおじさんかと思ったら
      少し、笑えちゃいました。

      soraは、我が子って感じがしますが
      バンは、大事な弟って感じですね。

      悲しい思いもをしても、「大切な子」にめぐり会えるというのは
      とても、幸せなことですね。