「くも膜下出血」だった父-1

2024/07/10

NHKの特集で「脳卒中」についてしていた。
「脳卒中」とは、血管が詰まる『脳梗塞』。血管が破れて脳内に出血する『脳内出血』
そして、同じく血管が破れて脳の表面に出血する『くも膜下出血』があります。

どれも、脳に影響があり、後遺症の大小が出ます。最悪命を落としてしまう怖い病気です。

 

私の父は、42歳の時、「くも膜下出血」を突然発症しました。
三人に一人は亡くなる、致死率の高い病気です。
いい機会なので、その父の、病気の話をここに書いておきます。

発症が50年前なので、今と医療が全然違いますが、その後30年間、
どう回復していったかを書きます。

父は、市役所に勤める地方公務員の「課長」でした。
50年前の高度成長期の頃、働きずくめで、本当に休む暇のない生活をしていた父でした。
家で食事をしている姿は、日曜の夜しか見たことがありませんでした。

手前味噌の話ですが、父はとても仕事のできる人だったらしく
30代の後半で「部長」の話が出たくらいです。
でも、その仕事ができるのが仇になったのでしょう、
毎日、市民のために走り回り、多くの仕事をこなしていました。

その日も、市で初めて、大きなゴミ焼却炉を導入する会議が白熱していたらしいです。
父は、元々温和で朗らかな人だったので、声を荒らげるという事のない人でした。
でも、後に父が、その会議で「カーーー!」っとなり、
頭に血が昇って気を沈めるためトイレに行ったら、
ものすごい頭痛に襲われそのまま倒れてしまった、と言ってました。

帰ってこない父を心配して、部下が見に行ったら、倒れていたみたいです。
すぐ、救急車で近くの、地域の中核病院へ運ばれました。
母もすぐ呼ばれ、父に声をかけたらしいですが、朧げな返事だったらしいです。

今なら、即MRIとか撮って、即手術なのでしょうけど
50年くらい前の、田舎の中核病院では、専門の先生もいなし設備もない。
もちろん手術もできませんでした。
何となく経験で判断するしかなかったのでしょうね。
とりあえず「安静」ということだったと思います。
結局、最後まで『治療』というものは、なされなかったと思います。
当時は「リハビリ」的なこともなかったと思います。

父は、そのまま入院して、何と40日間も意識不明の状態でした。
隣町に、大きな病院もあったのですが、なんせ動かせられないということで
絶対安静で、寝かされてました。
意識不明と言っても、寝ているわけではなく、目は開いていて何となく動いてもいるのですが
意識的に動いてるのではなく、焦点もあってなく、
無意識かの動作だったみたいです。
「これは、意識はないです。」と先生に言われてました。

叔母(父の妹)が、元看護婦だったので、昔のツテを使って
大きな病院の脳外科の先生に、内緒でこっそり病室に見に来てもらいました。
その時「多分、出血しているところは、命の危険のないところだと思います。」
と言っていただき、家族は安堵したと思います。

当時、私は11歳。兄は14歳。妹は7歳
父が倒れた日のことはよく覚えています。家中連絡を受けて、バタバタになり
祖父と祖母が、顔面蒼白で病院に行く準備をしていたのを覚えています。
ことの重要さを知らない私と兄は、TVのチャンネル権の争いをしていました。
「父親が大変な時に、お前たちは何考えてるんだ!」と激怒された事を覚えてます。
ま、当然ですよね。

意識不明の時にお見舞いに行くと、
父は、無意識のまま、氷嚢を赤ちゃんのようにしゃぶっていました。
そんな父に驚いたものです。

 

父は、40日間の意識不明の後、意識を取り戻し、
先生が「今日が何日かわかりますか?」と聞いた時、「◯月◯日ぐらいですか?」と
倒れてから1週間後位の日にちを言ったそうです。
自分では、2.3日位かな?と思っていたそうですが、多めに1週間と言ったみたいでした。
「意識が回復されましたね。」とその日に言われたみたいです。
本人は、40日間もたっていて、驚いたと言ってました。(20年後くらいに)

父は、脳外科の先生の見立て通り、出血した所が、四肢麻痺の出るところでなく
幸い体に麻痺は残りませんでした。
ですが、脳に損傷を受けるというのは、普通では済まないのだと、その後思い知らされました。

 

つづく。

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