懐かしの大阪

2026/02/16

新幹線で大阪に駆けつけたのは10年ぶり位かな。

新幹線移動の時は、必ず買っていた「あなごめし」
広島駅で作りたてが買えるので、暖かくてめっちゃ美味しかった。

車で移動することが多いので、関西でもほぼ車で行っていた。

新幹線移動すると、東京に住んでいた時や、大阪に住んでいた時、帰省するときのことを思い出す。

 

新幹線を使って新大阪に着いた時、胸が苦しくなった。

それは、友人のお葬式に来たと言う気持ちもあるけど、

若い時に住んでいたとても大好きな街、大阪に来た懐かしさと切なさが入り混じった感覚だった。

私は、大阪がとても好きだった。

一生大阪で今後の人生を過ごすつもりで、18の時に出てきた。

大阪の雑多な町並みも、大阪弁のテンポの良い喋りも大好きだった。いや今でも大好きだ。

 

突然の大阪の訪問で、会いたかった友人たちに連絡をしたが、
あまりの突然さに都合がつかず、会うことができなかったのは少し残念だった。
でもそれは仕方がない。良いことできているわけではないので。
でも、その友人達も、不幸があって会えてない人たちだったので、あまり嬉しいことではない。

 

でも滅多に梅田に来ることもないので、以前勤めていた会社のビルを訪ねてみることにした。

もちろん今はそのビルに当時勤めていた会社が入っていないのはわかっている。
でもそのビルには父ちゃんと同じ会社ではないけど、
同じデザイン事務所の系列会社として働いていた。

新大阪から大阪駅へ環状線で移動し、梅田の街へ足を下ろした。
するとそこは私たちの知っている「梅田」ではなかった。

駅前開発がすごくて、超高層ビルだらけで、まるっきり違う街に発展していた。

まるで玉手箱を開らかずしての、浦島太郎状態だった。

以前、働いてたビルはそこにあったが、さすがに30年以上経っているので、ビル自体は煤けていた。
当時は大きなビルだと思っていたが、(12 3階建て)周りが超高層ビルがたくさん立っていたので、
すごく小さなビルになっていた。

でも、懐かしかった。

 

そして、そのビルの2号線を挟んだ向かい側に、私がデザインを学んだ専門学校があった。

ついでにそこも見て帰ろうと言うことになり、学校の前を通ると、やっぱり煤けていた。

私がその専門学校に行ったのは40年前。

「大阪デザイナー学院」当時その学校はレンガ造りのとても素敵な学校だった。
階数は忘れたけど、確か12 3階建てのいかにもデザインを学ぶ生徒が行く学校と言う感じだった。
今は学校の名前も変わり、日曜日だったせいもあり、学生も歩いていなかった。
この建物は、別の学校になって、私の学校は、この裏手に信仰者があるのだけど
そこはもう私の母校ではない。

ここで学んだのは、もう40数年も前の話なんだなと思うと、
とても昔のことだと思う反面、ついこないだのことのように思う。

大阪を懐かしく愛おしく思うのは、当時の希望に満ちた時代を思うからなのかもしれない。
「新しい環境」と「新しい仲間」と「新しいことを学ぶ楽しさ」の「希望」に満ち溢れていた。

島根の田舎から出てきて、大阪の大都会に全てが驚きと、好奇心と喜びに溢れていた。

今となっては、笑い話だが、学生時代、課題で徹夜をして学校に遅刻しそうになり、
寮の友人たちとタクシーに乗り合って学校に行ったことがある。
その時に運転手さんに私は「梅田の銀行まで行ってください。」伝えた。
運転手さんは「どちらの銀行?」と言われたとき
『あ!銀行そういえばたくさんあったんだ』と思った。
学校の近所の交差点には、その四つ角に大手都市銀行が4つ並んでいた。
当然、地銀もまばらにあった。梅田の中心部なので、銀行が本当に数えきれないくらいあった。

私が住んでた田舎では、地銀が1つあっただけだった。

そういうところに、田舎と都会の大きな差を当時ひしひしと感じたものでした。

 

大阪に行ったら、父ちゃんはどうしても食べたいと言っていた「551」の豚まん
1人で食べてました。

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