2018/6/8
1ヶ月前から、突然の脳幹出血で倒れて入院していた
母方の叔父が亡くなりました。
私は、子ども時代、母の実家に帰っては
この叔父の家で、ずっと12歳の冬まで従兄弟と遊んで過ごしていました。
私の子ども時代の思い出は、実家よりも、母の里なのです。
私にとっては、1番大切な従兄弟の父。すなわち私の叔父が亡くなったので
駆けつけなくてはと思ったのです。
仕事を片付け、車で4時間走らせて、お通夜に向かいました。
母は8人兄弟。今年2人なくなり、現在は上3人が亡くなってしまいました。
山を愛し、温厚な叔父は、梅雨の晴れ間に、天国に旅立って行きました。
斎場は、山の上にあり、お骨拾いの待ち時間を過ごす場所の
お庭の美しさにびっくり。足立美術館のお庭によく似てました。
地域によって、荼毘にふすのがお葬式の前か後か違いますよね。
松江地方は先に荼毘にふすので、亡くなった本人に会おうと思うと、
お通夜に帰らないと会えません。
関東では、葬儀の後でした。
荼毘にふして、お骨上げも終わり葬儀です。
そう言えば、今回初めて知ったことは
ご飯を食べる時、「食べ物を箸どうして掴んではいけません。」と良く言いますが
それが、この骨拾いに関係しているのは知っていたんですが
今回の骨拾いで、みんなでお骨の周りにたち、足の方の骨を
お箸で順番に隣に回していき、最後に喪主が骨壷に入れていました。
「これを、箸渡しと言います。」と言われ
「は!このことか!」って、初めてわかりました。
その後は、自分の箸で骨壷に入れるのですが
いくつになっても、初めてのことがありますね。
立派な祭壇で、叔父は92歳でしたが、たくさんの方が見送って下さって
それもまた驚きでした。
母の兄弟は、とても仲が良く、良く兄弟会していました。
みんなで、泊まりでどこかに行き、楽しく過ごしていました。
同じ時代を過ごした兄弟が亡くなるのは、
親が亡くなるのより辛いと叔母が言ってました。
叔父たちも歳をとり、当然私も同じだけとしとったのですが
仲の良かった、大好きな従兄弟も、すっかりおじさんたちになって笑えました。
でも、歳を取っても、叔父も従兄弟も、話をすると昔のままなので
無理してでも、叔父のお葬式に出て良かったと心から思いました。
若い時は、大阪や東京に住んでいて
遠いからお葬式に出られないと、言われたし思ってもいました。
でも、やはり、最後のお別れは「けじめ」なんだと思いました。
話がそれますが、そこの従兄弟の長男が、
お笑いの「ネルソンズ」の真ん中の子
「青山フォール勝ち」(芸名)なのです。
デビューした時から、親戚なのでひそかに応援はしていましたが
叔父にとっては、可愛い初孫なので、テレビで見られるのを楽しみにしていました。
彼は、レスリングで日本代表の選手だったのですが
今は吉本で「お笑い」で日本代表になるよう頑張ってます!
島根県警のこんなポスターになってて、ビックリしました。
皆さんも、どこかで見たら「あ、この子達だ!」って思って見てやってください。
「じいちゃんも、これからは空から応援してるよ〜!!!」
収録の合間に帰ってきて、また、東京へ帰って行きました。
ま、ちゃっかり一緒に写真撮りましたけどね。ふふふふ。
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